あおきんのブログ 

ぷちガーデニングと日々のあれこれ

あの歌は「山谷ブルース」だったのかもしれない記憶

学生の卒業旅行だったから、もう20年以上も前のお話です。

23日間という時間をかけて、ヨーロッパを巡るという企画で、飛行機やバス、列車を乗り継いで各地を訪れました。半日観光、半日自由行動、夜間バス移動、深夜に移動先のホテルに到着ということもたびたびありました。参加者は、中型バス一台分だから約20名位の男女だったはず。

添乗員さんは日本人男性およそ35歳位、出発から帰国までのすべてに同行していただきました。
今思えば、外国なんて初めてというヒヨコをつれての大旅行で、自由行動もありの日程、自己責任なんて言葉もまだ浸透していない中、気苦労も多かったのではないかと思います。

旅の後半になり、参加者の学生の一人が、卒業試験の追試を受けなくてはならなくなり、途中帰国が決定してのお別れの会が開かれることになりました。歓談、お酒がすすみ、各自でお別れの言葉を告げる時になりました。

オペラ歌手を目指し、これからも勉強をしていくという女の子は、歌を贈った。華奢な体から発するその歌声は、そこにいた全員の喉を震わせたかのような声量で部屋中に響いた。
その歌は、アベマリアだったであろうか?今は思い出せない。記憶は、はかなさを伴うものなのですね。
ヴェネチアの街角を巡り歩き、コーヒー店で将来の夢を語った彼女の気持ちをただ聞くことだけしかできなかった自分がいた。夢をあきらめ、新たな見知らぬ道を進もうとしている僕にとっては、彼女の瞳が輝いていたことだけは、忘れてはいない。

お別れ会も終演を迎え、添乗員さんからも一言があった。そして、彼から参加者みんなへ歌が贈られた。
「東京の上野の近くに山谷という場所があります。日雇いの人たちが集まる場所です。僕は、そこで暮らしたこともあります。明日を語ることよりも今日一日を生きることに迫られている人たちが集まっているのです。日本にも、そのような人たちがいることを忘れないでください。皆さんのこれからのご活躍を期待しています。そこで歌われていた歌を歌います。下手くそな歌ですが聴いて下さい。」

でも、その歌がどのようなものであったのかは、今、思いだせない。
忘れてしまうことは、決して罪ではないと思いたい。記憶は、切なさを伴うものなのですね。

そこで、どんな歌だったのかと、今、ネットで検索してみた。

You Tube 岡林信康 山谷ブルース」がみつかりました。
http://www.youtube.com/watch?v=s6JjQHfScIc&feature=related

この歌だったかどうかも、思いだせません。
それでも彼が僕らに贈った歌への気持ちは、今、思いだしたと思う。

折しも昭和の終わり。バブルの日本に翳(かげ)りが射し始めたときのことでした。